Pod Cast

 上平崇仁(デザイン研究者)が試験的にお送りするポッドキャストです。何かをデザインする際には、知識や技術だけでなく、ものごとにどう向き合うかの、”態度”の側面も重要です。しかし、態度とはいったい何なのか、分かるようでなかなかつかみどころがありません。そこで、デザインとは一見馴染みのない分野の方に話を聞き、なにかに対峙する際に通じる微かな線を見つけることによって、態度の観点を浮かび上がらせてみようとする試みです。(三角をクリックすると視聴できます)

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#0|はじめに

このPod Castで何を試みようとしているかについて、試しにひとりで喋ってみました。音声データの作り方も手探りですが、何よりも一人で楽しそうに喋るのが難しいですね。

#1|学び得ぬものをいかに学ぶか、について人類学者に聞く(を一人でふりかえる)

3/2に行った上記トークショー記事は全文書き起こししてあり、こちらで読めます。初回が欠番になってしまうと、なんだかコンプリートできずに気持ち悪かったので一人で振り返って語ってみました。
ゲスト:比嘉夏子氏(人類学者)

#2|”構え”は何を決めているのか、について剣士に聞く

武道で言う「構え」は、攻め方のスタイルを示しますが、相手とのかけひきの中で自分の向き合い方を探り続けるという意味で、態度に似ています。剣道の場合、構えは何を決めているのでしょうか。
ゲスト:齊藤実氏(剣道七段)

#3|万物がつながっているとはどういうことか、について僧侶に聞く

さまざまなものごとが分断化していく現在の状況において、「連関的に世界を捉える」という意味で仏教は重要なことを示唆しています。そして仏陀の教えが時代や社会背景によって大きく変容している点では、近年のデザイン概念が普及していく過程にも重なるように思われます。私たちの生きている世界は、仏教の観点からどのように解釈できるのでしょうか。僧侶としての一面も持つ安藤昌也氏に話を聞いてみました。
ゲスト:安藤昌也氏(浄土真宗僧侶)

#4|花を殺しつつ、生かすことについて、花人に聞く

野に咲く花は、自然の生態系の中で咲いているに過ぎません。そんな花を日本人は古くから愛し、人間を超越した存在として居室内に取り入れてきました。花を活ける行為は「殺しつつ、生かす」ものであり、罪深さを抱えた”祈り”と共にあります。この葛藤に対峙し続ける、花人の山本郁也さんに話を聞かせていただきました。花人とは、「花」と「人」の関係について哲学する人です。
ゲスト:山本郁也氏(花人)


#5|計算できるものと計算できないものについて、数学者に聞く

さまざまな高度なシステムが人間の頭脳を超えて自動的に計算していく時代です。しかしどこまで行っても計算し得ない領域があり、それこそが私たちがこの世界に生きる根源的なことでもあるようにも思われます。数学とアートを創造することによって止揚する試みを行う巴山氏に、「計算できること」と「できない」ことについて話を聞かせていただきました。
ゲスト:巴山竜来氏(数学者)

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このポッドキャストについて

 

最近、デザインを学ぶ場が増えています。そこで専門家でなくても、(否が応でも)デザインについて語り、指導することを求められる場合があります。例えば、学校のカリキュラムや企業の研修の一部として。高等学校普通課でも、情報Ⅰに「コミュニケーションと情報デザイン」が取り入れられ、本格的にデザイン教育が開始されています。地方では情報の教員すら極めて少ない中、日本全国で80万人の生徒たちに対する教育体制をなんとか構築することが急務となっています。

 しかし、デザインすることの知は、実践のなかに埋め込まれたもの(実践知)です。教科書にはさまざまな知識がまとめられているとしても、もとの実践の豊穣さと比較すれば、言葉と言葉のやりとりで伝わるものはほんのわずかでしょう。人間はコンピュータではないので、アプリをインストールするようにうまくいくわけでありません。

 もう一点、さらに見落とされがちなこともあります。例えば、だれかが何かの行為をする場合、それは知識や技術だけで行われるわけではありません。今の時代、さまざまな情報は溢れかえり、いつでも誰でも手に入れやすい状況になっているわけですから、そこで何を「する」のか「しない」のかを決めているのは、本人の中にある動機や志向性です。自分自身が生きる中にある現実に対してどのように向き合うか。すなわち「態度」や「姿勢」といった側面と切り離せないということです。


 デザインすることも、まさしくこの側面と切り離せません。知識や技術を自分の中に蓄えるためではなく、本来はそれぞれの人間が世界に対して『応答』し、自分の潜在能力(ケイパビリティ)を活かすものとして捉えていく必要があるはずです。

  
 そして、この態度の観点は、学習者自身だけでなく、教育者/新人の教育係/組織のマネージャーなど、学習者に寄り添う立場の人にこそ自覚が必要なものだと言えるでしょう。なぜなら、人が何かを学ぶ時、直接関わり合う人の存在は極めて重要です。学び手である「わたし<I>」の目の前にいる「あなた」<二人称のYou>を介して、その向こうの社会<三人称でできているThey>が見えてくるものであり、構成される世界の見方に影響を与えるからです(佐伯胖「学びのドーナツ理論」)。何かを面白がっている人の姿に面白さを感じるように、物事に向き合う態度は、その人の周囲にも伝播します。それは意図的に届けるというよりも、自然に”感染”していくようなものです。

 職務上、教える立場となった人達は、必死でトレーニングしたり本を読んだりしてそれなりに勉強していると思いますが、この「態度」の観点については、つかみどころがなく、正直意識しにくいものだと思います。仕事現場で直接プロの背中から学ベる人は相当に限られるでしょう。また、プロと呼ばれる人も一様ではありませんし、「医者の不養生」ではありませんが、日々の仕事に忙殺されていると、望ましい態度を発揮しているかは正直難しいところです。

 では、どう考えていけばいいのでしょうか。実は、ものごとをつなぐ「専門のない専門性」もまたデザインのもつ重要な一面です。まったく違う発想として、デザインの専門知識ではないところから、核心となる態度の問題を見出せるのではないか、と私は考えています。一般的にはまったく別の分野と考えられている方々の話を聞いていく中に、共通する補助線を描いてみる。それを通して視野を広げ、デザインするという行為も、さらにはそこにおける態度の問題も、決してわたしたちの日常生活と切り離されたところにあるわけではないことが、ぼんやりと見えてくるのではないか。そんなコンテンツを介して幅広い人々に自分で考えてもらおうということで、「態度」に焦点を当てた連続インタビューシリーズのPod Castに挑戦してみます。

※この取組みは、科学研究費補助金基盤C(18K11967)によって支援されています。

※この取組みは、科学研究費補助金基盤C(18K11967)によって支援されています。